top of page
ピアノ練習少女

dystonia

ジストニアのこと

弾きたい人は 本当の深いところの自分が「わたしは弾きたいんだ!弾いていいんだ!」と、

もう一度気づけば かならず弾けるようになる。ただそれだけ。とてもシンプル。

コアのあなたは そのことを ちゃんと わかってる!

だから だいじょぶ!

「ジストニアは脳神経回路がパニックを起こしているので、楽器を使ったリハビリを行う場合、健勝であった頃の神経回路に戻そうとするという考え方ではなく、新しい神経回路を作り出す、という考えのもとにリハビリをする」というのが、一般的な音楽家のジストニアの説明です。

ジストニア1

脳神経回路がパニックを起こしている

まず、「脳神経回路がパニックを起こしている」というのは、どういうことでしょうか。

「脳神経回路がパニック」というのは、「動かそうとする意志」があるのに「動かせない、動かない」という現象に対して、なんだかわからないから「パニック」と称しているのではないでしょうか。症状が進むと日常生活の動作もままならなくなるようですが、通常は、日常生活は困らない、しかもピアノの蓋を閉じて蓋の上で曲を弾くように指を動かすことはできる。それなのに、さて、ピアノを弾こうと弾いてみると思うように動かせない。これが、症状が示す体の現象です。

 

説明します。「自分の意思にも関わらず、動かそうとする指に異常運動が見られる」という「自分の意思」とは、なんでしょうか。私たちの心や感情の状態を見守る意識は、顕在意識と潜在意識、あるいは表層意識と深層意識とも言われますが、2種類あります。超意識=魂を入れると3種類です。「動かそう」とする思考=顕在意識があるのに、心=潜在意識は「動かしたくない」から、体は固まってしまう。日常生活の中でも、普通に起こることです。

たとえば、小さいころ、娘は高いところが苦手でした。それでも公園に遊びに行くたびに滑り台に上がってみようとします。挑戦する娘を見て、親も「おっ、成長してできるようになっているかな。どうぞ、やってみて」と見守るわけです。けれど、あと2段くらいで上がり切る階段の途中で「こわいこわい!」と大騒ぎをしては、毎回、固まっていました。はた目から見れば親が子どもを虐待しているように見られるかもしれませんが、本人はやりたい思いで毎回挑戦していました。そんな状態が何歳くらいまでだってでしょうか。いまも高所は得意ではなくて、ディズニーランドに行ってもジェットコースターには乗りません。そんな娘が保育士になって子ども達と過ごす毎日。どんな風にやっているのでしょうか。「行きたい意思」はあるのです。だけど、やっぱり心は怖いから、体は「動かない」「固まる」のです。

20代の頃、私もスペシャルなジェットコースターをキャーキャー言って思い切り楽しんだ後、さて動こうと意思は持っていても、腰が抜けて歩けないということがありました。高い崖っぷちに立たされれば足がすくみます。「ほら行け!」と言われても、行けば死ぬだろうと分かるから生きたければ「行きたくない」「行かない」意思をもって「動かない」動作をするという選択をする。「動きたくない意思」で「動かない」は正常です。

でも、たとえば、先に進むためにどうしても、この崖を飛び降りないといけないという時でも、「飛び降りたい」意思はあっても、心が恐怖いっぱいだと、動こうとしているのに「動けない、飛び降りられない」となるでしょう。ほら、「動きたい、動かそうとする意思」があるのに「動けない動かない」ですね。音楽家のジストニアはこれと同じです。「弾きたい、動かしたい」意思はとても強い!そんなことない!と反論が聞こえそうです。

ヴァイオリン奏者

フォーカル・ジストニアの心の背景

ジストニア2

目覚めていて「意識がある」状態の生活の中で、私たちは、いくつの相反する思考や心を同時に抱えて過ごしているでしょうか。

朝、目覚めた瞬間から、さっそく始まります。「あーまだ寝ていたい、起きたくない」と思う。起きたくないと思いながら「やっぱり起きよう」が勝って起き出す。歯を磨きながら、その日1日の行動についての思考がまとう感情はいくつあるでしょうか。

たくさんの心の中の言葉たち。常に、いくつもの思考や心を抱えて外見は1つの「自分」を過ごしています。「集中していない」と表現することもあります。ルーティーンの日常動作は命の危険なく、こなしていけることも多いですが、「うっかり」という言葉で表現される、複数の心を持つ自分が起こしてしまった動作が大惨事になることもあります。

私は車も人もあまり通らない狭い通りで、自分のうっかり信号無視で車2台をお釈迦にする人身事故を起こしたことがあります。命に別状がなかった結果に感謝しました。

「演奏する」のはどうでしょう。練習を含めて演奏となると、意識を研ぎ澄ませて体を動かすことに集中します。10人11脚とか、30人31脚という運動会の競技があります。「いろいろな心を抱えた自分」が演奏する、練習するというのは、ちょうど、1人で30人31脚に挑み続けるのに酷似しています。「せーの!」と声を合わせ心を合わせ、体の動作を合わせる。歩幅やスピード、方向などを横一列で揃えないと、すぐに崩れてしまいます。きっと30人の一卵性双生児でも難しいのに、体格も性格もバラバラなら、なおさらむずかしい。この30人の中に1人でも、「私、やりたくない!」と思っている子がいたら、どうなるでしょう。皆で進む方向とは反対の心の状態を持って「揃えて走り切る」動作をずっとやり続けるのは、どのくらい可能でしょうか。大勢に無理やり説得されてやっていても、「やりたくない!」思いがぬぐえなければ、どうしても体が動かなくなって座り込んでしまうかもしれません。1人の中で辻つまが合わない自分をいくつも抱えていたら、「どうしたいの。わからない!」と固まって「動けない!」となるのではないでしょうか。音楽家のフォーカル・ジストニアというのは、まさに、そんな心の背景を持った症状です。

ギターレッスンを教える教師

意識エネルギーの肉体への影響

ジストニア3

思考も心も物質的なものではありません。物質的な肉体は心の状態を反映して変化もします。

たとえばストレスホルモンと呼ばれる物質のコルチゾールの値を計測して、「ストレス状態ですね」と言われることもあるでしょうが、思考や心そのものを示した値ではありません。音楽、音の世界も、空気の振動として、大きさを計測することはできても、そのものは物質ではありません。

現在習っている奏法に出会って1度だけ発表会に出たことがあります。わが家にあるのは古いアップライトピアノなので、本番に備えて、できたらグランドピアノで練習したい。新しくできた公共施設の音楽室にグランドピアノがあって安価に借りられる。まだ新しいから知られていないのか、ちょうど空きがあって「ラッキー!」と出かけました。弾いてみると「これでグランド?!」と疑うほど鳴らない。鍵盤の端から端までウナコルダを踏んだままのような音しか出ない。「4時間、このピアノを独占して練習できるのに、これじゃ、うちのアップライトのほうがまし!」とイライラのフラストレーションが爆発。どうにかしてもっと音が出るようにならないかと両手を拳にしてバンバンとピアノを叩いたりしながら、気を取り直して時間を過ごしました。

その翌日です。朝、目が覚めて、「仕事に出かける日、その前に家事」と起き上がろうとするけれど、まったく起き上がれません。すっかり腰抜け状態です。どうしても動きだせず仕事は休むことにしました。動けないまま、自分に何が起こったのか、どうやって回復させようかと考えるしかありません。1時間か2時間か、いろいろ考えて、「あー!なるほど!」と腑に落ちました。前日の、あのピアノに対して向けた私の意識、出した音、その影響だと合点がいきました。「こんな鳴らないピアノはダメだ!こんなんじゃ、しょうがない!」とバンバン叩きました。その音を浴びたのは私自身です。音の影響について分かっていたつもりだったのに、あーやってしまった。自分で受け取って身を持って示されて納得しました。もちろん、こういう音の影響を腰に貯めこんでしまう体の状態も大いに問題です。

「言霊」という言葉があります。プラスイメージの言葉には、プラスのエネルギーがあって、いい影響を及ぼす。だから、日常では意識して良い言葉を使うようにする。アファメーションというのも、その範疇です。ただアファメーションにもからくりがあって使い方によっては逆効果なことが多い。細心の注意が必要ですが。歌詞がない演奏で意味を持つ言葉は発しないけれど、練習でたった1音鳴らしても、鳴らす人その人がその瞬間に持っている意識エネルギーが込められて音が鳴ります。プロの方、勉強中の方など、音楽の世界の人たちは、日々何時間、そんな音を出し、誰よりも一番たくさん自分の意識が込められて出された音を浴びているのでしょうか。

トランペット奏者

魂の目的からズレていませんか?

ジストニア4

「弾きたくない心」を持っているから弾けなくなっている。体は心の状態を示している。「弾きたくない心」を持った人(=意識)が混ざった30人31脚で練習する、演奏する、そして音を浴びる。誰よりも音を浴びているのは自分自身です。その心の背景に気づいていない、解決されていないままだと、発症から何年経過しようと現在もジストニア症状があります。

もちろん、肉体的なオーバーワークであれば、体は壊れないようにしたいから「もう、これ以上がんばれません!」とメッセージを込めて、キュッと自分を固めるかもしれません。一般的な肉体疲労です。次の場合はどうでしょうか。たとえば、私が習っている奏法は、「えー、こんな脱力でいいんですか!?」と声を上げてしまうほど、より楽に難しいと思っていたフレーズも弾ける方法を教えてくれます。けれど、人によっては、この奏法でかえってジストニア症状を悪化させています。この場合の症状は、肉体の物質的な疲労を現したメッセージではないです。どうしてでしょうか。日々の練習は1音1音の響きに心身を研ぎ澄ませて、よく聴くことからです。自分が出した、その音に無意識の「弾きたくない心」をしっかり乗せて弾き続け、全身の感覚を研ぎ澄ませて浴び続ければ、演奏者にはプラスの能力であるはずの音に敏感な人ほど、体は正直に反応して固まるでしょう。だから、弾けば弾くほど症状は悪化します。心が置き去りにされたまま、発せられる音が増えれば、魂は、その心の悲鳴をわかってほしくて体は固まるでしょう。

現代の西洋医学は対処療法です。高熱には解熱剤、花粉症で鼻水がダラダラ出れば、粘膜を乾燥させて出ないようにする薬、その薬が効くと今度は目の粘膜が乾燥しすぎてドライアイに困ります。硬直の麻痺には弛緩の麻痺を起す薬を使う。何をしているかといえば、「弾きたくない!」と体を固めて頑張っている子に対して、頑張りが利かなくなる筋力をダラッとさせる薬を使って踏ん張れないようにして、30人の中の「弾きたい」子たちでグイグイ引っ張る感じでしょうか。薬で自分本来の意識が通う状態にならないようにしているので、「自分の手でないような感覚」にもなります。薬の正しい作用です。

超意識=魂は目的を持って、その目的を果たすために「地球のこの体」と決めて肉体に宿ります。「その魂の目的からズレていますよ」というサインで体に症状を出すこともあります。「ずっとピアノをやっていたけれど、本来、ピアニストをしたいのではない、親が好きで無理やりやらされて、本当にやりたいことではない」と思い続けていた方が慢性の腱鞘炎で悩んでいました。弾きたくないのに弾かされている肉体が、「やりたいことは違うでしょ。弾けなくなれば気づく?本当にやりたいことに向かう?」と出している症状です。「弾きたくなければ弾かなくてもいいという選択ができる。自分が選べばいいだけだ」と気づかれて自分探しから始めることにしました。「音楽家のジストニアで頭蓋まで開く手術をして弾くこともわからなくなってしまった」という逸話を読んだことがあります。もしかしたら、その人の魂の目的は別にあって、どうしても、そのことを知らせたくて、そんな結果を選択したのかもしれません。私がわかることではありませんが。

ピアノの授業

弾けない、弾きたくない自分の存在を無視していませんか?

ジストニア5

体・心・魂が三位一体となって、1人の人が存在します。ホメオパシーは、トータルで人を捉えます。だから「手の症状だけ治してください、そこだけ考えてやってください」ということも出来ません。もともと肉体には別の大事な症状があって体が必死にSOSのサインを出している場合も多いです。それを無視して、無理してピアノを弾くことしか考えていないとしたら、弾けなくしてSOSをアピールしているかもしれません。ジストニアなどの症状に対してたくさん薬をとっていれば、いろいろな臓器がダメージを受けているでしょう。子宮や卵巣など女性生殖器に症状があれば、「お母さんとの関係はどうですか。『女なんてつまらない』と思っていませんか」と女性性に関してお聞きすることにもなるでしょう。他に出してくれているサイン=体の症状に関係なく、ジストニアだけ考えることはできません。心が発しているサイン?体が出しているサイン?どんな食事をしていますか。いろいろ伺うようになるでしょう。
「弾きたくないから弾けなくなっている」と、ジストニアの捉え方はシンプルだけど、1人の人間が産まれるまでの先祖の背景、生まれてから現在に至るまでの経験や心の背景はとても複雑です。同じような経験でも、その捉え方も1人1人違います。だから、外見の症状が同じでも、原因や治癒に導くための過程も一様には行かないのです。体も心も魂も、ていねいに取り組んでいって、「弾きたいから弾く!」と肚からの思いが湧いてきたら、きっと、これまでの最高の状態で弾けるようになるのでしょう。

ホメオパシーのセッションでは、こういうことを一緒にやっていきます。
「症状を治すのはお医者様のお役目」ではないのです。ホメオパスでもありません。その人自身にしか治せません。医師ができるのも一時的な症状の緩和だけではないでしょうか。もちろん、それで命が救われたり痛みが緩和されたりして乗り切ることができる、必要なケアですが。
ホメオパシーは、意識に匹敵するほどの高希釈なレメディで共感や気づきのサポートをします。ハーブ療法も取り入れますので、物質的な臓器、肉体のケアもいたします。
相談会でお話ししながら意識のワークの宿題もしていただきます。少しずつ自分のことが分かっていって変化していきます。体も心も変わります。
「弾きたいのに弾けない」というのは、奥深くに存在する「弾けない、弾きたくない自分の存在を無視している」ということです。深いところの自分が開かれていないということです。ここに気づいて、自分を開いたら、より深いところから発せられる演奏になる。だから、だんぜん音楽も深まるはずです。

音楽家のジストニア・音楽家の方のホメオパシー相談室はこちら

bottom of page