野口美智子(のぐち みちこ)
産まれも育ちも神奈川県横浜市
埼玉県さいたま市在住
2009年JPHMA認定ホメオパスNo.0486(2009年取得)
プロフィール
《自然療法編》
どんどん悪化する顔のニキビに悩んでいた二十歳のとき、マクロビオティックスの食事やお手当の方法に出会う。物心ついてからずっと苦手だった肉類が「食べねばならない」から「食べないほうがよい」に変わって心底ラクになる。食事と身近な食材を使ったお手当で顔や腋下リンパから大量の排出をしつつ時間をかけてニキビを治す。この体験以来、食や農、環境などに強い関心を持つ。
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英語の辞書を作る仕事に携わりたいと勉強していた学生時代も終盤になった論文準備中の夏休み、「こんなこと詳しくなって何になるんだろう・・・」という思いが天から1つの滴になって天頂にぽとり・・・全身を満たす。英語を見るのも聴くのも嫌になってしまい、どうにか論文を形にして、やっと卒業する。
いろいろな仕事をしながら自分探し。結婚して斉藤助産院(現・助産所サンバハウス)にて出産後、「自然育児友の会」「いいお産の日」「Sum・Fam.(さん・ふぁむ)」など、お産や育児関係の活動や運営に関わる。娘が3歳のとき、インフルエンザの高熱で熱性けいれんを起こして以来、高熱・熱性けいれん・中耳炎のパターンがたびたびとなり、足浴やお手当で経過させる。2度の稽留流産(妊娠8週ほどでお腹の中の卵が死んでしまう)のたびに全身麻酔で掻爬(そうは)手術をし、ひどい慢性疲労状態になる。「こんなものに出会えたら元気になれる」というイメージと、どこからか「ホメオパシー」という言葉を知り、とても気になる。まだネット情報がほとんどなく、周囲にもホメオパシーを知る人はいなかった。ふたたび妊娠し、現在、元気に生まれ育っている息子がお腹にいる間、赤い背表紙の本、旧『ホメオパシー in Japan』と巡り会う。
パラパラと読んで「探しているのは、これ!」と直感。書いてあった「学校」に入ると心に決める。まだホメオパシーの学生だった助産師の鴫原さんを紹介してもらい、切迫早産で入院中の病院に貧血対策としてFerr-p.(ファーランフォス/燐化鉄)を送ってもらう。助産院での出産時にBell-p.(ベレスペレニス/ヒナギク)1粒で短時間・出血少量の安産となる。初産とはいえ、前回は丸1日以上かかった陣痛で出血も多かった。私以上に助産師さんがホメオパシーの威力に驚いていた。
「クライアントになることからホメオパシーを勉強しよう」と、日本で唯一のホメオパスだった由井先生に家族でかかる。自然育児を心がける友人たちと食べ物やアロマテラピー、ヨガ、ホメオパシーなどの情報や体験をシェアしながら2人の子どもを育てる。
ホメオパシーのクライアントとして、そして学生になって勉強しながらホメオパシーを使う。健康相談を受ける前に、これまでと現状を問診票に書く。それを開きながら相談会ではホメオパスと話す、あるいはホメオパシーの学校で魂が洗われるような素晴らしい講義のノートをとる・・・まずは、たくさん自分の振り返りをする。
「ホメオパシーは引き算の療法」と言われる。「玉ねぎの皮を剥くように」、本来はツルツルピカピカの自分を覆い隠している、いろいろなものを1枚また1枚と認識して外していく。わたしが探してやっと巡り会えたとき、ホメオパシー関連書籍たった1冊だったけれど、現在、新たに勉強を始めようと思えば関連書もたくさんある。ネットの情報や勉強会もしかり。レメディのホームキットもある。心身のちょっとしたケアには日々どんどん使ってほしい。
お薬に頼りたくないと思いながら経過させてきた慢性症状や心のつかえで上手く進めない方、ぜひホメオパスの相談会にかかってみてほしい。環境が複雑になっている現代、症状も複雑。ホメオパスは、こんがらがった糸をほどきながら、自分を見る鏡を作り、磨き上げる手伝いをする。
《音楽編》
子どものころに10年間ピアノを習ったおかげで、「音楽がギフト」の人生の流れになっています。
小学生になって近所の幼なじみがピアノを習い始めたら自分もやってみたくなる。「ぜったい途中でやめたりしません、毎日1時間は必ず練習します」と親に何度もおねがいして、やっと新品ピアノが来て以来10年間、ほとんど休まず楽しく練習してレッスンに通う。手も小さくて年の近い妹弟がいる3人姉弟の一番上、特別裕福な家でもない。音大に進む道は考えなかった。高2でテニス部の部長になってスッパリやめる。たまに弾く程度、結婚して実家を離れ、ピアノや楽譜を処分されても特別な未練はなかった。
娘が3歳になって、未経験の夫が急に「ピアノが欲しい」と言い出し、家具調でかわいい中古ピアノを購入。弾いてみると手が曲を覚えているけれど弾ききれず、1冊2冊と楽譜が増えていく。のんびり娘が小学生になり、自分が習いたい本心から「ピアノならう?」と聞くと「ならう」と言ってくれて、私も月に1回程度レッスンを受けるようになる。
何か新しいことをしようと思ったタイミングで近くのホールで企画されていたシリーズの演奏会に行くようになる。以来、現在まで15年間ほど、年に10~20位のホールやサロンで演奏会やコンクールなど、クラシックのピアノを中心にライブ演奏を聴いている。
セラピー用の音叉に出会って、音をエネルギー的に全身で感じる感覚が強くなり、演奏の違いにも敏感になった(あくまで比較は自分基準)。音色や響きを大切にする奏法に出会ったことも大きい。子ども時代のように毎日コツコツ弾くことはむずかしいけれど、自然な流れで大人になって音楽と再会し、人生の輝きが増した。
ホメオパシー的な物の見方をすると、一般には不治の病といわれることが多い音楽家のジストニアが「とてもシンプルにとらえられる」ということに気づいたら、大好きな音楽を私以上に人生の支えとしている人たちをサポートしたいと心から願うようになった。
深まる21世紀に、私たち一人一人がそれぞれの自己表現、自己実現を叶えよう。そのお手伝いがしたい。
ホメオパスとしてクライアントさんを見る立場上、私たちは自分自身を俯瞰(ふかん)、あるいは内観する・・・鳥の目を持って自分を高いところから離れてみる、あるいは内側から観察する・・・意識を持つよう、日々の生活の中でトレーニングしている。ただの趣味のピアノ、しかも少ない練習時間だが、こういった意識で演奏する自分に気づいていくことが、音楽関係のクライアントさんとお話しする上でも、とても役立つと感じている。ホメオパシーは体・心・魂を1つの存在として人を見るが、演奏する自分やクライアントさんを見る・感じるときも同様なのだ。